「地域に「社会」をひらくこと、あるいは移住者受容の社会学。」 滝口克典

現在、山形県の委託を受け、Uターンで山形に戻ってきたり、Iターン、Jターンで県外から山形にやってきたりした若い世代の実態を調査している。県内各地に暮らしているUJIターンの若者たちを訪ね歩き、なぜ山形に戻って/やってきたのか、くる前ときた後とではどんなギャップがあったか、外部の目からみたときの山形の長所と短所は何かなど、彼(女)らの生の声をデータとして収集するのが目的の質的調査である。現在は、50余名にわたる聞き取りを終え、その内容のまとめを行っている最中だ。
 
そもそも県がこの調査を企画するにいたった目的は、若い世代のUJIターンを増やし、人口減少に少しでも歯止めをかけようというものだ。そのために何をすべきかというのを考えたときに、外部から新たに人を呼び込む施策に着手するにあたり、現実に外部から山形にやってきて暮らしている人びと、一度県外にでたものの再び戻ってきた人びとの実態を適切に把握し、そこにあるニーズを踏まえた上で、どのような人びとに対し、いかなる施策を実施するかを検討したほうがよい。ということで、まずは実態調査を行うことになったわけだ。
 
調査の結果はこの誌面でもおいおい紹介していこうと思うが、ここでは、その過程で見えてきたことを一つだけ書いておこう。県内各地をわたり歩いたときに、UJIターンの若者たちがネットワーク状にゆるくつながり、外部から流入した人びとに居場所を提供する受け皿となっている地域が一箇所あるということに気づいた。置賜地方である。このネットワークは、同地方の中心に位置する川西町の文化施設「川西町フレンドリープラザ」を中心的な拠点に、そこに集う置賜在住の若者たちによって構成されている。
 
彼(女)らは、地域での日常や活字文化などを話題にそれぞれが自らの思いを自由に綴ったミニコミ誌『ほんきこ。』を発行。まもなく9年目を迎えるそれは、すでに50号を数える。ゆるい誌面には、置賜内外に暮らす、置賜ゆかりの若者たちが開陳するそれぞれのユニークな世界がひしめきあい、にぎやかな交響曲を奏でている。編集長は、「プラザ」の図書館司書である松沢久美さん(1973年生まれ)。編集方針は、それぞれが自由に書きたいことを書くこと。書き手の発掘と勧誘が彼女の仕事だ。筆者もいつのまにか引きずり込まれた。
 
ではなぜ、こうしたミニコミ編集のサークルに、かくも多くのUJIターン者たちが集まり、自助的なコミュニティの様相さえ呈しているのだろうか。筆者の仮説によれば、それは、『ほんきこ。』の人びとが採用している、冊子づくりの独特のスタイルに起因する。彼(女)らは、冊子づくりの工程をいくつもの作業プロセスに分解し、そのそれぞれをメンバーに向けて開放する。例えば、特集記事のネタになる企画の実施、取材ツアー、集まってきた原稿の校正、印刷した冊子の製本など、その一つひとつが、メンバーにとっては交流の機会となる。
 
しかもそれらは、一律に深い関与を要件とするものでもない。関わりたい人が、関わりたい範囲で、自由にそのコミットメントの程度を決めることができる。どっぷり関わりたい者は、企画や編集まで責任をもって関与することができるし、薄く浅くつながっていられればいいという者は、打ち上げの飲み会だけ参加するということもできる。さらには、冊子づくりとは直接に関係しないような集まりの場――例えば、お薦め本を紹介しあう「読書会」など――もゆるく開かれている。どういうつながりかたも可能であり、そのどれも排斥されることがない。
 
この冊子は、置賜地方文化施設やカフェなどで手に入れることができる。置賜の地に降り立った移住者は、街なかのあちこちでこの『ほんきこ。』を手にし、そこから滲み出る多様性に何か――もしかしたら自分と話題の合う人びとがそこにいるかもしれない――を期待し、編集部が拠点としているという「プラザ」を訪れる。そこには、例の松沢さんが待ち構えており、「何か書いでみね? 近ぢか製本やるから手伝いさこね?」と誘われる。気がついたら常連に。面白いので、地元の友人をも呼び寄せた――こんな循環が、現実に回り始めている。
 
よそからやってきた人びとを排除するのではなく、ゆるやかに受け容れ、歓待するこうしたつながりを、残念ながら、私たちの地域は未だもつことができていない。さまざまな要因はあろうが、置賜の集まりに顕著なのは、「ものの考えかたや捉えかた、価値観などは人それぞれであり、社会は想像もつかないほどに多様であるということ」への徹底した理解が、メンバーたちの間にわかちもたれているということではないかと思う。そしてそれはおそらく、彼(女)らの関心のベースが、活字文化や読書文化にあるためだと思う。
 
活字や読書の世界の多様さ、奥深さは、いまだ歴史の浅いテレビなどの映像メディアやインターネットの比ではない。そうした文化に日常的に触れ、親しんでいる人びとならではの奥行きの深さ、遊びの大きさこそが、異質な存在に遭遇してもさほど動じず、むしろ興味をもって近づき、受け容れようとさえする寛容さの基盤となっている。彼(女)らの活動の拠点が「図書館」であるのも、ネットワークの結節点となっている編集長が「図書館司書」であるのも、まさにそうした側面を象徴しているといっていいだろう。
 
冒頭の話題に戻ろう。人びとを県外から県内にどう呼び込むか。これが、事業の根本にある問題意識であった。このたびの地震は、こうした問題意識の前提をことごとくくつがえしてしまった。被災地に隣接し、比較的被害の少ない山形県は隣県の被災者を受け容れる最前線としての役割を今後果たしていくことを求められている。いまや改めて呼び込むまでもなく、たくさんの人びとが異文化圏から私たちの地域にやってくる。地元が復興すれば再び帰っていく人びとも多かろうが、なかには帰るべき故郷を失った人たちもたくさんいるはずだ。
 
つながりや足場を根こそぎ奪われ、孤立した人びとにどんなふうに地域への「着地」を果たしてもらうか。災害後の緊急対応が一段落するにつれ、おそらくはそうした関心が浮上していくことだろう。この問いについては、先の調査結果が参考になる。他者を歓待する共同体――それは「社会」とも「公共圏」とも言い換え可能――は、多様性のまわりに結晶化する。逆から言うと、複数性があるところには「社会」がたちあがる。いまやすでに複数性は現実化している。それを「社会」へと練り上げていけるかどうかは、私たち自身のこれからにかかっている。

プロフィール
滝口克典(たきぐちかつのり)
1973年生まれ。東根市在住。大学院で社会学を学ぶ傍ら、予備校で教えたり、若者支援NPOを主宰したりしている。好きなものは、安藤裕子の楽曲とチェブラーシカ太陽の塔