「「居場所」という希望」 松井愛

私はいくつかの仕事を掛け持ちしているが、より重きを置いているのが「居場所づくり」の専従スタッフである。年齢も、性別も、これまで歩んできた道のりも、今置かれている環境も、全てが違う多種多様な人びとが集うことができる「場」を用意し、そこに来る人びとを迎え入れ、ともに時間を過ごすことが私の役目だ。最近は「居場所」という言葉もだいぶ流通し、広く浸透してきたようで、「居場所づくりってどんな活動なんですか?」というような質問はあまりされなくなったように思う(それがいいことか悪いことかは分からないけど)。いずれにせよ、「そんな活動に意味はあるの?」という前提でいられるより、「何かしらの意味ある活動」という前提を持ってもらっていることはとても楽だ。

先日、とある学びの空間で「親密圏」という言葉を知った。この「親密圏」とは、親密な関係を核として、ある程度持続的に互いの存在を承認しあう他者と他者の関係性を指す。「家族」「友だち」「夫婦」などというベタなカテゴライズが個人的に好きではない私にとって、この「親密圏」という概念はしっくりきた。何より自分でそれを選べるというところがいい。

この「親密圏」という概念を自分の頭にインストールしてからというもの、折に触れそれについて考えるようになった。「自分の親密圏はどのあたりまでを指すのだろう?」とか「親密圏の広さ・狭さが自分に与えるものとは?」などという具合に。そして時には、他者の「親密圏」を想像してみたりもした。

この概念は、私が関わっている「居場所づくり」にも深く関係していることにも気づく。「居場所」は、単なる物理的な「場」を指すわけではない。ホッと安心できること、会いたい人や仲間がいること、自分を好きなように表現できること、自分がその場に関与できること――。こうした要素が「居場所」には不可欠だ。そしてこれらの要素はそのまま、「親密圏」の定義にも当てはまるのではないだろうか。

自分がこれまで生きてきた中で、とてもつらかった時期を思い出してみると、この「親密圏」が非常に狭くなっていた時期と重なる気がする。「親密圏」が狭いからつらいのか、つらいからそれが狭くなるのか、はっきりしたことは言えない。しかし、「親密圏」が広い時期には、多少の困難はやり過ごせてきたのではないか? そんな気がしてならない。

生きていく上で、つらいこと、苦しいことに遭遇することは避けられない。だが親密な関係を核として、互いの存在を承認しあえる他者との関係性があれば、「日々を生きていく」という歩みを維持していけるのではないだろうか。私はそのような「親密圏」の機能(=力)を信じて「居場所づくり」に取り組み続けている。 

地震放射能漏えいに誰もが震え上がっている現在、私は楽観的に過ぎるのかもしれな
い。しかし、もしそうした希望がなかったら、「居場所づくり」の意味はいったいどこにあるだろう? そして希望を持たない者が、現在私たちをとりまく恐怖に対して、どうやって説得力を持ちうるだろう?

プロフィール
松井 愛(まつい あい)
山形市在住。若者の居場所と学びの場づくりNPO「ぷらっとほーむ」を運営。
モンテディオ山形をこよなく愛し、春夏秋はバイク、冬はスノーボードに時間を費やす。
大好きな人たちとのおしゃべりがエネルギー源。山形県農産物等統一シンボルマーク「ペロリン」ラヴ!