「3/11〜3/20」 松村勇気

宮城県多賀城市にある実家が津波の被害にあった。実家のマンションの1階も、近くに住む兄の家の1階も水に浸り、そこにまた住めるようになるのかわからないらしい。父母、兄夫婦、甥は今(3/20現在)も避難生活中。
 
自分も地震の前日に多賀城に帰省し、一泊していた(山形に戻る高速道路上で地震が起きた)。一日遅れて行っていれば、山形に戻って来られず、避難生活をしていたかもしれない。

多賀城市内でも被害が大きかったところと小さかったところに分かれるらしい。実家は港に近く、被害が大きかったところ。高校卒業まで住んでいたマチの風景が全然違うものになっている。映像や写真で今の風景を見ると驚くばかりで、何の感情も出てこない。実際に自分の目で見ておかなきゃいけないと思った。映像や写真だけではわからないことがあるはずだし、自分の家族は目の当たりにしているのだから。でも、一週間経った今も多賀城に行っていない。山形で仕事があるから、仙台から多賀城までの交通機関がストップしているから、そうやって自分に言い訳をして、見に行っていない。見たくない、信じたくないんだと思う。いつかまた多賀城に行ったときに、前と変わらぬ風景があると思っていたいんだと思う。山形に戻ってくるバスのなかで地震が起き、道路に入る亀裂、乗客の悲鳴、長時間待機の不安などにびびって、思考のどこかを切った。今もそのまま切り続けてしまっているんだと思う。

家族は今も小学校の体育館で避難生活をしていて、「昨日は2人で食パン1枚でした」「体がもたないです」などのメールがくる。電話がきたとき、6歳の甥が「ここ寒いよ」と言っていた。卒園式を迎え、小学校の入学準備をしていたはずの甥が体育館で生活をしている。宮城・岩手・福島に住む知人のなかにも避難している人がいるし、自衛隊の知人も日々キツイ状況のなかで働いている。それなのに自分は山形で生活している。飯を食うこと、風呂に入ること、ストーブをつけること、テレビやネットで地震の情報を見ていること、、、自分の行動、一つひとつに罪悪感を覚えてしまう。家族や知人が無事だと知ったとき、喜んでしまった。多くの人が亡くなっているにもかかわらず、喜ぶ自分、「よかった」と言っている自分、、、自分さえよければいいのかと自己嫌悪に陥ってしまう。

暗い顔をしていたって何かが変わるわけじゃない、自分を責めたところで何も始まらない、考えるぐらいなら行動すればいい、生きている人は頑張らなければいけない、そんなことはわかっているはずなのに、うまく自分を動かせない。

地震の報道もあきられたのか、テレビ番組も元通りになってきた。ガソリンや食料の供給も増え始め、山形に住む人の生活も少しずつ元に戻ってきているように感じる。自分はうまくそれに乗れていない。誰かを責める資格もないし、被害者ぶる資格もないし、泣く資格もない。ただただうまく乗れていない。

プロフィール
松村勇気
1979年生まれ、宮城県多賀城市出身。大学卒業後に宮城県に戻るつもりだったのに、家庭教師を続けたくて、そのまま山形生活を継続中。学生時代から今のアパートに住み続け、いつのまにか増えた荷物が多すぎて、引越しをする気も起きず。趣味は献血。なのかまち献血ルームはとても素晴らしいです。