「過ぎてしまえば、みな美しい 〜においをめぐるきおくのさまざま」 角田春樹

◆はるのにおい

 新しい教科書のにおいが好きだ。
 まあたらしい紙と、インクと、のりの匂い。そして、あの美しい長方形のたたずまいも。よれていない、まっすぐな角と直線。手の上でざっとページを弾いて、立ちのぼる空気を吸い込む。新しい「もの」の匂い、新しい「せかい」の匂い。
 新しい環境、というのはとても凶暴な力を持っている。それまで築き上げてきた経験や感覚の価値をすべて壊してくれるものだから、春――とくに四月のあの落ちつかないざわめきが苦手。
 でもその苦手な春の中にあって、新しい「国語の教科書」というのは私にとって特別で、唯一心をときめかせる存在だった。

 どう考えても自分からは選ばないであろう作家の、選ばないであろう物語たちが、整然と秩序だって一冊の中に納まっているというのがまず新鮮。「教科書」=読まなければならないもの、というのは苦痛で忌みきらうべき存在であるはずなのに、ほかの教科書の退屈さにくらべたら物語がつまっているという点においてまず秀逸。
 説明文、評論文はすっとばして、物語だけをむさぼるようにして読む。知らなかった人たちの描く、知らなかった世界のなんと色とりどりなこと。池澤夏樹の澄んだ静けさも、五木寛之のモノクロの風景も、そして梅崎春生のにごった世界の不穏さも、みんな国語の教科書で知ったのだ。

 春に、あのずしりと重い教科書を渡されなくなって十数年。たまたま数ヶ月前、仕事の関係で「国語の教科書」を手にする機会を得た。ひさびさに味わう新しい世界の匂い。正しいフォルムのしゃちほこばった一冊。
 まあたらしい紙の匂いはなかったけれど、開けばそこには変わらず物語の世界が広がっていて、けれど、村上春樹中島敦梶井基次郎安部公房小川洋子はすでに私の中にある世界なのだった。少しの寂しさと物足りなさ。でも、きっと四月にこの教科書を受け取った学生は、十数年前の私のように、新しい「もの」の匂いとともに新しい「せかい」の匂いをかいだことだろう。そこにある幸せに気づいた何人かのその後の世界が、とても豊かなものになることはまちがいのないこと。
 
 「国語」というナンセンスな教科名だけが気にくわないけれど、それを差し引いてもこの一冊の存在は春の憂鬱の中にあって輝きを放っている。


◆ 番 外 編
 
 春の日差しをまぶたの上に感じながら目を閉じていると、あまりに平和ですべては夢の中のできごとのように思える。
 でも、これは現実だ。ちゃんと目を見開いて受け止めなければいけない。
 映画でも小説でもなくて、ほんの数十キロ先の、自分と地続きの世界の中のできごと。さまざまな偶然やほんのわずかな時間の差で、自分もあの中にいたかもしれないのだ。しかもかなりの確率で。
 
 ぐらりときたとき、わたしはひとりで職場の一室にいた。机の横にしゃがんで、目の前に積み上げていた本がばらばらと崩れ落ちるのを見て、震えながら息をとめていた。これ以上、揺れが大きくなったらもうだめかもしれない、と思い「お願いだから早く止まって」と、ただひたすらに祈っていた。果てしなく長い揺れが収まり、走って外に出て同僚と再会したとたん、体中から力が抜けて地面に座り込んだ。
 
 毎年、「9.11」がくると、あのとき誰と何をしていたのか、をそばにいる人に聞くことにしている。
 ――あなたはあの時、だれと何をしてた?

 わたしは、自分の部屋のベッドの上で本を読んでいて、当時付き合っていた人からの電話を受けたのだった。「テレビ見てる? すごいことになってるよ」
 隣の部屋のテレビをつけて唖然。そして、妙に興奮してはしゃぐ彼の態度に憮然。(その人とはそれから間をおかずして別れた)

 被害者でもないのに、そういう追悼のやり方は恥ずべき感傷的態度なのかもしれない。あの時はしゃいでいた彼とたいして差のない行為をしているのかもしれない。
 でも、「想いをはせる」ことくらいしか、わたしにはできないのだ。あのとき生きていた自分と、あのとき失われたいのちに。大きな悲しみが生まれた瞬間と、同じ世界に立ち会っていた自分に。

 タイトル副題にあるように「におい」というものは、人の記憶とまっすぐにつながっていて、いろんな想いをよび覚ますきっかけになるけれど、「数字」も同じ作用を持つものなのかもしれない。
 これから毎年「3.11」がめぐってくるたびに、あの体の震えや、今この原稿を書いていることを思い出すのだろう。
 それで何かが変わるわけではないけれど、目に見えないそういう想いこそ、人が生きる「理由」になるような気がする。

プロフィール
角田 春樹(かくた はるき)
秋田十四年→山形十七年。図書館の住人。趣味は読書と映画鑑賞、そしてジム通い。依存物質=本、チョコレート、紅茶、生野菜。最近、物欲が消えて知識欲が増大。図書館に住まう幸せをかみ締める日々。