おどりこ扇ちゃんがゆく1 「そうだ、やまがたかえろう」の巻

イーハトーボの劇列車 (新潮文庫)

イーハトーボの劇列車 (新潮文庫)

扇(せん)と申します。とある師匠の元、日本舞踊の踊り手として修業を積むふつつかものでございます。どうぞよろしくお願いいたします。

山形にUターンしてようやく一年が経ったばかりです。大学進学と共に上京、「じゅう」と「ウン」年東京で暮らしていました。高校生だった私が上京を決めたのは、ズバリ、「“おしばい”がいっぱい見たかったから」。なんて「ミーハー」な動機でしょう。

当時の私は、自他ともに認める演劇少女でした。テレビで舞台中継を目にしてから虜になってしまったのです。たしか、故・井上ひさしさんの作品『イーハトーボの劇列車』だったと思います。世の中には、なんておもしろいものがあるんだろうと夢中になりました。「“おしばい”がもっと見たい」「でも山形では、なかなか見られないなあ……」「そっか、東京に行けば、毎日“おしばい”を見て暮らせるんだ!」そんな単純な理由でポン!と上京してしまいました。若かったとはいえ、すごい情熱だったなあと今になって思います。

大学は、芸術学科のある学校を選びました。「おしばい好き」が、自然に「表現」「文化」の世界へと導きました。勉強の傍ら、色んな舞台を見に行きました。演劇学生は貧乏ですが、先生やバイト先のコネなどチケットにはわりあい事欠きません。学生割引という強い見方も得、新劇・前衛劇・人形劇・ダンス・狂言・歌舞伎・オペラ・ミュージカル……毎日、足に羽が生えたみたいに飛んで歩きました。客席に潜り込めない時には、劇場の扉にぴったり耳をつけて中の様子をうかがったりもしました。本当にありがたく、幸運な毎日だったと思います。バイトやボランティアで様々な活動や公演に関わらせていただいたりもして、毎日が劇場通い。日舞を始めたのもこのころです。

卒業後は、まっすぐに某劇団の制作部に就職しました。しかし、体調を崩し、5年ほどで退団。お決まりのオーバーワークというヤツでした。ガンバリや情熱だけではどうしようもないことがある―――悔しかったです。「おやすみ」の期間は、劇場などで働きながら踊りの勉強をしたり、友達と小さな公演を打ったりして過ごしました。同時に、ずっと目を背けてきた自分の「リアル」にも向き合わなければならない年齢にもなってきました。地方出身の「ひとりっこ長女」であるという現実。将来のことや、経済的なこと、家族のこと……本当に色々考えました。失恋もしました。考えに考えた結果、悩むことをやめました。これまでは、「やりたいこと」に「リアル」を近づけようと必死にもがいていたけれど、今度は「リアル」に「やりたいこと」を近づけていけばいいんだと思いました。きっと、タイミングだったのです。私は、山形に帰ってくることに決めました。

本当は、もうちょっとナンダカンダあったのですが(笑)、私は今、ここでしあわせです。子どもたちと一緒に日本舞踊をおどるなど自分を生かせる場もちょっとずつ増えてきたし、何かの公演や活動がある際には関わらせてもらったりもします。東京の面々とも変わらず交流し、時には一緒に仕事をしたりしています。夢をあきらめて帰ってきてしまった――挫折かと思っていたけど、ずっと追いかけてきた「好きなこと」は、私を見捨てませんでした。よかったです、ずっと追いかけてきて。

不器用な生き方しかできないけれど、私の居場所はここにある――これからも私らしく生きていこうと思います。

プロフィール
扇(せん)
日本舞踊の踊り手として活動する傍ら、子どもたちの舞踊教室やワークショップを主宰。今日は保育園、明日は小学校の課外活動と駆け回る他、たまに老人ホームなどにも出没中。趣味は三味線を弾くことと(その腕はコント並)とクラシック音楽を聴くこと。演劇ユニットTEAM NACSの活躍とおいしいごはんが元気の源。