こころのわ

私は、あの日、生かされたのだと思う。
あの日の、あの瞬間、今思い返せば、そうだったと思う。
 
震災当日、私は彼と夕方着の便で仙台空港にて会うことになっていた。私にとっては、待ちに待った3月11日であり、特別な日になるであろうというそんな予感と、どこかでいつもと違うざわつきを、秘かに、でも確かに感じながら、山形の家で仙台空港へ向かう準備をしているその最中、私はあの震災にあった。

今まで体験したことのないような激しく長い揺れ。最初は、すぐ収まるだろうと気楽に考えていたものの、次第にその強さは増し、周りの物が大きな音を立てて落ち始めてきた。私はその時、人生で初めて「自然の脅威と人間の脆さ」と知った。

とにかく、急いで外に出た。そこに在ったものは、空からはらはら落ちてくる雪と、家がきしむ不気味な音だけだった。また、その音に合わせるかのように、電線が波うち、駐車しているはずの車が、前後に動いていた。遠くで、私と同じように、家から外に出る人影がちらほらと見えた。そして、長く重い揺れは終わった。

揺れが収まった後も、あの物が落ちてくる度の、体全身が震えあがる恐怖が抜けきれないまま、ひとまず、介護施設である仕事場が心配になり急いで車を走らせた。到着すると、毛布にくるまったばぁちゃん達が、身を寄せ合い、不安げな表情を見せていた。

現場にいれなかった自分を責める後悔、恐怖、そして状況を判断し決断していかなければならない緊迫感は、震災後もずっと私の背中にリアルに重く覆いかぶさることになった。
 
その後、電気が通ってからは、私はテレビの前から離れることができなくなってしまった。まるで、私に課せられた義務かのように。それに、東北地方に散らばっている数多くの友人達の安否が消息不明のままだった。

私はいつの間にか、悲しみと無力さ、そしてなぜ自分が今ここにいるのかという違和感に苛まれ、普通に生活することに、変な罪悪感を覚えるようになっていた。今まで毎晩見る鮮やかだった私の夢も、震災後は暗闇を映し出す闇の、その夢しか見なくなってしまっていた。
 
数日後、連絡の取れなかった友人達の声が、次々と電話口から聞こえ始めてきた。「・・・生きてました。」ただその事実だけが、ただただ嬉しく、目から次々と涙がこぼれおちてくるのを抑えることが出来なかった。張り詰めていた心に、風が吹いた。

海辺の市役所で働く友は、家族の安否も確認できないまま、避難所に泊まり込みで寝ずに市民達への支援救助を行っていた。駅にいた友は、電車が使えず、瓦礫となったしまった街並みと波打っている異様な道路を、高いヒールの靴で泣きながら何時間もかけて自宅にやっとの思いで辿り着いていた。原発付近に住んでいる友は、震災と原発被害に恐れながら日々見えない明日への生活を続けていた。介護施設で勤務している友は、3日間ライフラインが寸断された避難所で、利用者さんと共に寝ずに介護しながら、体力的にも精神的にもギリギリのところで必死に協力し合って生きていた。
 
みんな、生きているのに、必死だった。生きている事という事が、ありがたかった。
 
その生きる声を聞くたびに、私の背中に張り付いていた重いリアルな感覚は、ゆっくりと剥がれおち、私の足は少しずつテレビの前から動き出す勇気をくれた。

「きっと、私に出来ることがある。私が、出来ることがある」と・・・。その日の夢は、震災後久しぶりの色鮮やかで、柔らかい、懐かしい友と大切な人が共にいる風景がそこにあった。それは、とても平和で笑顔が溢れる眩しい光景だった。
 
 そして、私は、動き出した。自分が出来る、誰かのために。誰かが見つめる、未来のために。
 
今、様々な枠を超え、支援活動にも大きな動きが見えだしている。被災地から日本、行政から民間、日本から海外、日本人から外国人まで。今まで目に見えていた枠を超え、目に見えない「心の輪(和)」が今確かにこの地球を取り囲み、新たに、大きく、透明に、そしてシンプルに形を変えてきている。

その祈りに似た想いは、人の心に触れる温かく脆いところへ。一番必要としている私たちの「声」のところへ。人として、一番大切なところへ、確実に向かうだろう。
 
これからが、日本の底力を見せる時だ。支援や協力が具体的に形に成していく時だ。そして、私たちの意識から、記憶が徐々にこぼれ始める時だ・・・。
忘れてはいけない。ただの流行にしてはいけない。

何かを感じ、何かを意識し、何かが変わる時を、自分の中で生かし続けて欲しい。どんなささやかな事でも、どんな小さなことでも、きっと何かを変える力をそれぞれが秘めている。共に、前を向いて歩んでいこう。今年もまた、春が来る。 

プロフィール
タミヤマキコ
自然と人間と音楽を愛する河北町産。高校卒業後、山形を飛び出す。大学卒業後、日本を飛び出す。その途中、忘れかけてた大切なものに気付き、山形に戻る。今はじいちゃんばぁちゃんに囲まれ民家型ディサービスをしており、これまた日々是好日。人生の目標は「地球にやさしい人間になること」。好きな食べ物は、干し芋と大豆と米。時々おもしゃい事をやりたくてうずうず病にかかる。趣味は、ふらり旅・巨木巡り・森登り。弱点は、「りゃりゅりょ」が未だに発音出来ないこと。