よあけのにおい。 過ぎてしまえば、みな美しい 〜においをめぐる、きおくのさまざま。

生まれて初めて一睡もせずに夜を明かしたのは、小学校4年生の夏休みのこと。図書館で借りてきた12冊の偉人伝記シリーズを一晩かけて読み通す計画を立てたのだった。
 いつもは、午後8時には消灯という“おやくそく”だったので、夜から朝にかけてのながいながい時間は、まさに未知の世界。学習机の右に未読、左に読了の本を積んで気合を入れてトワイライトゾーンに突入したのだった。
 案の定、睡魔との闘いの中で朦朧としながらも、12冊を読みきったのが午前5時。もちろん夏の夜明けは早く、机の前の窓から入る朝の澄みきった光はすがすがしくまぶしかった。
 左側の本の山をおしのけて、窓を開けた瞬間のあの「夏の日の朝のにおい」は忘れられない。生活臭がまるでしない、植物の青さと力強い太陽のにおい。人の声も車の走る音も聞こえず、鳥のさえずりだけがかすかに響くせかいは、あの瞬間、確かに私だけのものだった。

 そしてそれから15年の後、もういちど「夏の日の朝のにおい」をかいだのは、海辺の町でのこと。友人たちと浜辺で無計画なバーベキューを試み、宿も取らずに車の中で寝ることになったのだけれど、私はひとり眠れず、そっと車を出た。
 海沿いの道路は幅広でなだらかに海岸に沿ってカーブしていて、車が通るのは数時間に一度くらい。寂れたバス停が目の前にあって、ジブリの、あの大きな怪物がそこにいても、なんの違和感もない雰囲気。
 誰もいない、なにもない夜のせかいで、ただひたすらに波の音を聞きながら、アスファルトの道路をとぼとぼと行ったり来たり。ふと思いついた歌を口ずさむと、少しだけ心がしゃんとした。
 拾った小石を海に投げたり、小枝で道路を引っかいてみたり。退屈しのぎの手遊びも万策尽きたころ、ようやく水平線の端がほんのりと明るくなってきたのだった。何者をも飲み込みそうなほど真っ黒だった海面が、少しずつ透明感を取り戻すと、とたんにそこらじゅうの空気の色やにおいも変わるような気がした。
 記憶に残る瞬間というのは、そのときすでに頭のどこかで意識していて「今のこの場面は、これから後、なんども思い返すことになる」という強い予感がするもの。
 朝焼けのローズピンクの空気の中で感じた予感は、さらに5年後の今、こうして的中している。

プロフィール
角田春樹(かくたはるき)
秋田 → 山形移住人。〈図書館住まい〉も気づけばもう10年!