フクシマ原発事故の「自主避難者」が抱える問題

 僕とつれ合いは、2年前から蔵王ダム山形市)の近隣にある少し大きめの古民家に住んでいます。何人かでシェアして住んでもいいぐらいの大きな家に、縁あって住むことになったのです。
 3月11日、震災が起こってまもなく原発事故の報道が始まりました。そこで僕は福島県宮城県にいる親しい人たち全員にメールで、僕の家を避難場所として使ってくれという内容を送りました。それを受けて1人、また1人と避難を決断してうちにやってきました。いわゆる「自主避難」です。
 瞬間的に20人ほどになったこともありましたが、それぞれがうちで過ごす中で考える時間を確保することが出来たようで、一旦自宅に帰る決断をしたり、山形市ハローワークに行って職を得たり、自分の住むアパートを山形市内に確保したりと、見事なまでに自分自身のリーダーシップというものを回復していく様を見せ付けられました。
 みんなで相談してネットオークションでガイガーカウンターを落札したりもしました。福島県三春町への一時帰宅を決断した友人はそれを持って行き、放射線量を確認しながら事態に柔軟に対応するという前提で帰っていきました。
 4月半ばには、うちに避難している人は1人だけになりました。30代の女性です。彼女は原発事故を理由に福島市内にある職場を休職していましたが、最終的には辞めました。
 「避難」という言葉の定義は様々でしょうが、僕が考える避難は、十分な休息をとれる場所まで危険から距離をとるということです。そういう意味では、「自主避難者」が原発事故からの十分な避難を完了するというのは非常に困難なことです。なぜなら休息がとれない状態が続きやすいからです。今回、この女性がまさにそうした状態で苦しんでいました。

 では、福島市などからの「自主避難者」を苦しめるものは何なのか。1つ1つ具体的に書いていきます。

1)放射線は目に見えず、福島市郡山市では誰も気にとめずに暮らしている。すべてが今までどおり機能している町で、「放射線が怖いので避難します。」と言っている人は奇人変人扱いされる。もの凄いマイノリティ感がある。

2)上記と同じ過程の中で、「自分勝手な人」「わがままな人」「社会性の無い人」などというレッテルを貼られる場合もあり、共同体を大事にする特質がこの場合は負に作用し、「自主避難者」=それらを怠る者、と見なして精神的制裁を与えてくる。実際は誰も攻めていないのに本人がこれに怯え続けている場合も多く、内面化された恐怖であり、根は深い。

3)結果として、原子炉や放射線というものについて相当知識があり、危険だという明確な根拠に基づいて説明できないと、避難する資格はないように感じてしまう。その結果、膨大な資料やリアルタイムのニュースを見つめ続けることになり、疲弊する。

4)福島においては放射線被曝など取るに足らない量であり避難するなど非常識だというメッセージを受けるのに、山形市内では時として心無い人に「被曝者」として差別され、福島ナンバーの車に傷をつけられたりする。どこにも行き場がなく、誰も分かってくれない、究極のマイノリティのようであり、心休まらない。

 非常に大雑把な分類では上記の4つが「自主避難者」を抑圧する要素であると思います。特筆すべきは、これらは順番に襲ってくるのではなく、常に4つが同時に存在するのです。
 先程紹介した女性はそれを抱えていました。最終的にこの女性は思い切ってもっと遠方に避難することで上記すべてから一旦解放され、十分な休息を確保する、という決断をし、5月半ばから九州の福岡に移動しました。賢明な選択だと思いました。
 「自主避難者」に対して僕らにもっと出来ることがあるとすれば、山形の中に根拠の無い偏見があるならそれを消すことと、彼(女)等を一人にしないこと、横の繋がりが持てるようにサポートし、少なくても同じ考えの人がいるんだということを感じられるようにしてあげることだと思います。

プロフィール
佐藤 洋(さとうひろし)
世界的には「Hiropy」という呼称で親しまれています。山形市の東の外れの方にある古民家でつれあい&猫2匹とひっそりと暮らしつつ、敷地内にある畑を充実させて自給自足を狙っている43歳。「成熟する」ということに全く力点を置かないことによって、人間は本来必要な全てを手に入れることが出来る、という思想に基づいて全然成熟しないことを大切にして生きる人々によって細々と営まれている秘密結社「アンティ・グローリアン」の日本支部東北ブロックの代表。ということに僕の脳内ではなっています。