《そしてわたしたちは、どんなエネルギーを どのように使っていくのか》 〜エネルギーと環境をめぐる3冊の本〜

偽善エネルギー (幻冬舎新書)

偽善エネルギー (幻冬舎新書)

武器なき“環境”戦争 (角川SSC新書)

武器なき“環境”戦争 (角川SSC新書)

 原子力発電の安全性がことごとく疑われている・・・というか、脆くも崩れ去ってしまった今、私たちはエネルギー問題という課題を目の前に突きつけられている。真夏の15%電力削減目標は、一人ひとりの努力で達成できるのか、家庭では削減できても、企業ではどうなのか。では関西地域はどうするの? 不公平?? などといろいろぐるぐる考える。でも、知識がなければいくら考えたって限界があるというもの。
 エコエコ言われて努力した気になって、マイバック、マイ箸なんぞ持ってみたけれど、それが本当に環境にいいことなのかよくわからない。

 最近メディアにもよく出てくる工学博士で、文科省科学技術審議会専門委員もしている武田邦彦の本を手に取ってみた。タイトルは『偽善エネルギー』。「偽善」っていうことは、いい気になってやっているけど本当はいいことでもなんでもないのよ、ってことなのか。これって、いわゆる「再生可能エネルギー」のこと?
 しょっぱなから「2004年には500mLのペットボトルの水130円、1Lのガソリン100円だった」という事実を改めて言われて、「あ」と思う。ガソリンって、水より安かった・・・というか、今でも天然なんとか水、なんかより安いんだ。自分が思考停止していたことに気づいて唖然とする。原発に関しては、「安全だけれど、地震の多い国である日本においては安心できない」というご意見。核廃棄物は固形化して埋めてしまえば安全なんだって。(日本にも硬いプレートは存在する、らしい)・・・今の地震後の状況で、そこはちょっと疑わしい、と思ってしまうけれど。
 太陽電池に関しては、人口密度の高い日本では非効率、と一蹴。効率が悪いので、太陽電池そのものを作るエネルギーを太陽光以外で調達しなければならないので成り立たないそうだ。水力、風力、バイオも同じように効率が悪すぎるとのこと、そうか。温暖化についても「少しくらい暖かくなってもいいじゃない」のスタンス。考え方、なのだなぁ、としみじみ思う。
 語り口が軽妙なので、するする読んで「うーん、納得」と言いそうになるのだけれど、ちょっと待て待て。メディアリテラシーの基本は「疑うこと」。彼が「温暖化性悪説」を疑うように、私も彼の意見を疑ってみようじゃないか。専門家のような知識はなくても、ほかの本で補完できる。

 『武器なき“環境”戦争』は今をときめくジャーナリストの池上彰と手嶋龍一(この前天童に来ていたそう)の対談集。表紙に「激論」なんて書いてあるから、このふたりって仲悪かったっけ? なんてびっくりして読んでみたら、そんなことない。タイトルしかり、煽りすぎです。
 さて、内容は。「石油は有機じゃなくて、無機由来という説もある」なんて興味深いネタも交えつつ、環境問題はもはやグローバル経済の問題なのだ、というハナシでした。あの京都議定書に端を発した排出権取引で、CO”はもはや単なる有害物質ではなく「商品」になってしまっているとのこと。そして、日本の外交力のなさが日本の景気に悪影響を及ぼした原因のひとつであるとまで・・・。そう、もう環境問題すらグローバルの時代。ミクロとマクロの視点、両方で解決していかないといけないのね。
 さらに、温暖化懐疑論についても言及。2009年のクライメート事件(ハッカーによって温暖化データの捏造が発覚)によって、それは浮上したらしい・・・知らなかった。IPCC気候変動に関する政府間パネル=国連環境計画と世界気象機関という国連の専門機関が共同で設立した科学者会議)のデータに一部誤りもあったこと、「気候変動」研究の人は、温暖化が深刻であればあるほど研究費がもらえる、なんて言っちゃっていいのかしらん。前出した武田邦彦の言う「氷山が溶けると海面が上がる、のは嘘」「異常気象も年単位で平均すればなんてことない」という説も支持しているけれど、それでもなお、CO2は削減すべき、との論は興味深い。
 デンマークの取り組みも紹介され(もちろんデンマークは安定した風か吹いていて風力発電には適しているけれど、日本はそうじゃない)やはり、国・・・政府の取り組みが重要で、それに乗っかる市民の意識も重要ということがよくわかった。車をやめて自転車に乗ろう、でも政府もちゃんと自転車道を整備してよね、って大声で言わなければいけない。
 
 そして最後に2011年2月に出た本を紹介。『気分のエコで地球は救えない!』。環境経済ジャーナリストの石井孝明、IPCCの統轄執筆責任者の一人である杉山大志、電力中央研究所の研究者星野優子らがIPCCのデータを詳細に引きながら、論のための論ではなくあくまで理論的なデータの読み解きをおこなっている一冊。いかにメディアがデータの一部だけを引用して危機感をあおる報道の仕方をしていたのか、再生可能エネルギーのコストがどれくらいのものなのかがグラフと数値で明確に示されている。データを元にしているだけに、冷静な分析のように思えるけれど、結論として「クリーンでコストのかからない原発推進と、家庭、企業の更なる省エネ努力が大事」となっていた。だが、今となっては補償費用の問題で「原発が低コスト」という考え方は崩れ去っているとしか思えない。状況が変われば、結論も変わるんだろうか。
さて、本書の中で、いつの間にか(2010年12月、メキシコ・カンクンで行われたCOP16でのことだったようだけど)日本が京都議定書から事実上撤退していたということが明らかに。知らなかった。仕事柄、毎日四つの新聞をチェックしていたというのに、気づかないって・・・私が悪いのか、報道のされ方が悪いのか。とにかく、テレビや新聞やネットという知らない誰かによって編集・要約された情報をただ額面どおりに受け取ってしまうと一番大事な部分を取りこぼす、ということをしみじみ感じたのです。

 やはり、主体的に能動的に「本」というツールを使って広く深く情報を得たうえで、自分が何をすべきかを考える。それが大事。原発やエネルギー問題だけじゃなくて、生きていくうえでのすべてのことにおいて。知らなければ政策に文句を言うこともできないし、メディアの情報を鵜呑みにしてわかったふりをして大げさに嘆いたり、誰かを不必要に糾弾したりすることにもなりかねない。
 
 これまで紹介した3冊に共通するのは、「自然エネルギー(持続可能エネルギー)はコストがかかりすぎるし、日本という地形、面積からしても難しい。今後、技術開発を進めていくにしてもしばらくは時間がかかる」ということ。この論と、原発の現状と、IPCCのデータ(温暖化しているのは事実だけれど、どのくらいの気温の上昇があるのか、それによってどんな事態が引き起こされるのかは未知数)とを踏まえて、私たちが選択すべき道は何なのか。
 『朝日新聞』2011年4月22日の記事で「風力で原発40基分発電できます」という環境省の試算が小さく小さく載っていたけれど、『朝日新聞』以外では取り上げられていなかった。その報道のされ方の意味はなんなんだろう?
 エネルギーに関する本はこの1ヶ月で15冊読んだけれど、まだまだ知らないことが多すぎる。

 言ってしまえば、この書評だって、「私」という一個人の目を通して書かれたものにすぎない。できれば一人ひとりが偏らずにいろんな論の本を読んで深く考えて、それぞれの考え方や意見を構築して、人と語り合ってさらに知識を身につけていくべき、と思う。
 「いま、自分ができることは何なのか」未曾有の現状の中で、たくさんの人がこの問いと向き合っていると思う。私ができることは、こうして「本の持つ力」とそれを活用することが大事、と言ってみることだけ。誰か一人でも「そうか、本、読んでみようかな」と思って、一歩を踏み出すきっかけになったのなら、ほんのわずかでも、社会の、世界の、すぐそばの、困っている誰かの一助になるような気がする。

プロフィール
角田 春樹(かくたはるき)
秋田14年 → 山形17年。図書館の住人。趣味は読書と映画鑑賞、そしてジム通い。依存物質=本、チョコレート、紅茶、生野菜。最近、物欲が消えて知識欲が増大。図書館に住まう幸せをかみ締める日々。