山形県出身作家の作品を読む その1 阿部和重 『ピストルズ』

ピストルズ

ピストルズ

もうすぐゴールデンウィークを迎えようとしている、4月も終わりに近づいた頃、久し振りに若木[おさなぎ]神社(東根市神町)へ行ってみた。今年は例年になく寒い冬で、いつもなら新緑が目に眩しい季節なのに、体に感じるのは冷たい風と淀んだ空気の重さだった。下校途中の小学生の列を横目に、神社までの道のりをゆっくり歩く。何度となく歩いた道だが、一人で来たのは初めてかもしれない。今年は震災の影響で、5月3日の神町祭りは中止だという。それもあってか、どうも春が来たという気がしない。

境内に人影はなく、木々のざわめきと葉の舞い散る音、風で揺れるブランコの金属音が聞こえるばかりだった。肌寒くなってきたし、山頂へは登らずに戻ろうかと神社に背を向け歩きだす。帰り道、自分は今日どうして若木神社へ来ようと思ったのか考えていた。

自宅に戻り、冷えた体を温めようと部屋に入る。机には1冊の本が置かれていた。『ピストルズ』。そう、これを読み返したからだ。だいぶ日も暮れ、そろそろ部屋の明かりを付けようかとスイッチに手を伸ばそうとしたその時、私の目に飛び込んできたのは、夕日に照らさた金のタイトル文字。薄暗闇に浮かぶそれは、とても美しく、まるで聖書のように神聖なものに感じられた。そう、神の書。この物語は「神の町」=神町[じんまち]を舞台に書かれた壮大な「事件簿」である。再びスイッチに手をやり、明かりを付け、何度目になるだろう、本のページを捲った。

・・・若木[おさなぎ]山に住む菖蒲一家は魔術師の一族だという。そんな噂を住民に囁かれるような謎に包まれた一族が住んでいるのが、山形県東根市神町である。その一家の、四姉妹の次女が菖蒲あおばであり、作家である彼女のもとを、本のキャンペーンセールのお願いとサイン本をもらう依頼のために、書店主の石川が訪れる。彼女の口から放たれる、菖蒲家の「秘密」と神町で起きた「事件」の真相。それらを知ることで、彼はやがて己自身の運命までをも変えられてしまう。千年以上も秘術を継承してきた菖蒲家の、普通の家族からは想像もつかない壮絶な歴史と宿命。その一家が2005年の夏に引き起こした「血の日曜日」と呼ばれる事件の真相と結末。今まで知られることのなかった、いや、知ってはいけないこの事実は、石川を廃人同然にしてしまう――。ラストで彼は読者に語る。秘術の継承者であり事件の首謀者である、末娘の菖蒲みずきが自室に居ると感じるのだと。魅惑の香りを放ち、耳元で自分に話しかけてくる。その美声は彼に何を語ろうとしているのか。

物語はここで一旦終結するが、著者は最後に「さしあたっては各機関の出方を注視し、たがいに牽制しあいつつ、菖蒲みずきの動向を注意ぶかく見まもってゆかねばなるまいが、それはまた、別書での報告とする。」と、次回作の予告を思わせる文章で作品を締めくくっている。本書は、前作『シンセミア』に続く、「神町三部作」と称されるものの二作目である。三作目の出版を期待しながら本を閉じようとしたその時、表紙のカバーが外れて床に落ちた。露わになった表紙には、「兵士の銃口に花を差し込んでいる人びと」を写した写真がのせてあった。白黒のこの写真は一体何を意味しているのか。窓を開け、闇に向かって私は問う。月はおろか、星もない暗闇は、次回作で描かれるこの町の未来を予言しているかのように思えた。窓辺に、夜風の運ぶ何かしらの花びらが舞い落ちてきた。それは桜の花びらであった。本来は美しいものであるはずなのに、今の私には、それが何だか不気味なものに思えて仕方ないのだ。

プロフィール
阿部惠
1973年生まれ。神町在住。書店員。読書とコーヒーをこよなく愛する。