海のものと山のもの そして、それをつなぐもの

山の形をした魂―山形宗教学ことはじめ

山の形をした魂―山形宗教学ことはじめ

月 人 石 (こどものとも傑作集)

月 人 石 (こどものとも傑作集)

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

もうすぐ海が見える、と思うといてもたってもいられない。山道を抜けて一気に浜風が吹いてくると、車の窓を開け放って思い切り風にあたる。風に身体をなぶらせて、ごちゃまぜの思いを吹き散らかす。どんどん軽くなっていく心と身体。いつもこうやってリセットしてきたのだ。故郷を離れるとき、一番気がかりだったのは、自分の生活から海がなくなることだった。
 
自宅から海まで歩いていけるところで育った。通学でも、通勤でも、少しでも海を見られるように、遠回りしたり、わざとシーサイドラインから帰ったり、海を眺めることが日課のようなものだった。白い砂丘を登って見えるその日の海との出会い。ただ海と空しかない広い空間に身をおくと、胸も広々と大きくなる気がして、頭でっかちな思考がちっぽけになっていく。人の匂いがしない空間ってなんてさっぱりするんだろう。世界に自分と、向かい合う海しかない。そんな錯覚に浸るのも楽しかった。いや、そんな錯覚こそが、リアルなことのように感じた。
浜でしか見られない植物に出会えるのもささやかなよろこびだ。浜昼顔のぷりぷりとした丸い葉、群れて咲く浜エンドウの濃い赤紫、秋グミのさびれた朱赤。そして、真冬の風が吹き荒れるただただ茫漠とした砂浜が好きだ。

この間は、夕陽を眺めるために海へ出かけた。春先になると、波打ち際にたくさんの貝が落ちている。からす貝に桜貝、はまぐりや名も知れぬ細かい貝殻たちが、傾いた陽を受けて、波の形にビーズを縫いつけたようにきらきら輝いている。夕凪の優しい色をした海が静かに波を寄せてくる。小さな漁港の防波堤では、釣りをする人のシルエットが浮かび上がっていた。今まで何度こんな夕暮れを浜辺で過ごしただろう。どうしても立ち去りがたく、家族との夕食の時間に遅れるのを気にしながら、夕陽が沈むのを見届けると急いで帰った。

一方、ここ、盆地山形。もくもくと日ごとに盛り上がる新緑のまぶしいこと。山笑う季節の到来だ。
山形に来たばかりの時、図書館の郷土本の棚で見かけた『山の形をした魂』という本のタイトルをやけに覚えている。なんだろう、山の形をした魂って??? 山形での暮らしに慣れ、取り囲む山々の存在が少しずつ自分になじんできた頃に、『月・人・石』という写真絵本と出会った。写真と書がページごとに載っていて、それぞれに谷川俊太郎の言葉が添えられている。その本の中の、あるページを見てはっとした。薄紫色のおにぎりのような山の写真のとなりに力強く「山」の書があり、「かなしみをうけとめてくれるしずかなやま」とある。それを見た途端、じわーっと胸にこみ上げるものがあった。山って、悲しみを受け止めてくれることもあるのか。そんな存在にもなりうるのか。ちょっと新鮮な驚きだった。
山といえばもうひとつ、司馬遼太郎の『竜馬がいく』の中で、竜馬がはじめて富士山を見たときの大好きな場面がある。富士を見て竜馬は「日本一の男になりたいと思った」とつぶやき、「一瞬でもこの絶景をみて心のうちがわくわくする人間と、そうでない人間とはちがう」と続ける。山の姿に自分の志を高くかかげた竜馬の心意気、そのスケールの大きさにしびれたのだ。

 海を見て山を見て、人は何を思うのか。じゃあ、空を見たら何を思うのだろう。昔、まったくぱっとしない地味で陰気な高校生だった頃、湯冷めするのも気にせず夜のベランダに立ってまたたく星々を眺め、「我が内なる道徳法則」や「考える葦」の言葉を胸に思い馳せていた。燦然ときらめく星座は厳しくてゆるぎない硬さをもっている。この硬さの前には何をどうすることもできない。それは無力感というよりも、甘さを許さない超然とした美で、自分を叱咤激励するものである気がした。そういえば山形に来るとき、友人がプレゼントしてくれたのは、宇宙と星座の写真集だった。「とまどい、迷うとき、この本を開いてみるといいよ」という言葉と一緒に。もらった時はよくわからなかったけど、なんて素晴らしいプレゼントなんだろう。ありがとう。そんな人の思いをのせて、今の自分はここにいる。

こんなことをつらつらと思いつつ、春の時間は過ぎていく。泰然とした海にも山にもとうてい及ばない、とりとめのない、でもかけがえのない私の時間が。

プロフィール
古田 茄子(ふるた なす)
山形歴10年あまり。最上川の歴史研究、城山登り、湧き水深訪、そば屋めぐりなど、趣味は山形。植物の名前を覚えるのが得意。オーガニック料理や身体にやさしいお菓子作りにも精を出す。いつか青汁だけで生きていけるよう肉体改造して、仙人になりたいとの野望を秘めている。