音楽と駄目人間 〜石とか転がっちゃえば良いんじゃね〜1枚目:「Bringing it all back home」

BRINGING IT ALL BACK HOME

BRINGING IT ALL BACK HOME

2ヶ月ほど前のこと。引越しに伴い、友達に使わなくなったベースをもらった。ネックも若干曲がった安物だけれど、いつでも好きなときにベースに触れられるというのは、ベース好きにとってはそれだけでテンションがあがってしまう。

しかしながら、あたしはベースが弾けない。というよりむしろ、楽器はなにも弾けない。ピアノは小学生のときに「あおむし云々(あやふや)」という初期の曲で挫折し、ギターはパワーコードすら危ういほどうろ覚えである。ベースに至っては、スコアも「これから始める! ベース入門!」といった教本も無い。

しかし手元には憧れのベース。とりあえずストラップを通し、見よう見まねで担いでみる。目の前には洗面所の鏡、に映るベースを担いだあたし。う〜ん、マンダム。

自己陶酔の極みに陥り、真夜中のアパートで、Hi-STANDARDやら、GO!GO!7188やらを爆音再生。もうとにかくしっちゃかめっちゃかに、ピックを持った右手を振りおろす。べろ〜ん、べっべろ〜ん。もちろん音なんて合っているはずもなくノイズそのものなわけだが、脳内では自分が難波さんやらアッコに変換されているから不思議なものだ。

なんだか文章を綴りながら冷静になってみると物凄く恥ずかしくなりました。近隣住民の方々、本当にすんません。

「Bringing it all back home」はボブ・ディランがロック転向を表明した契機のアルバムである。当時はベトナム戦争の煽りもあり、プロテスト・フォーク・ソングといわれる強い意志を表現した歌詞が支持されていた。

それまで、代表曲「風に吹かれて」が爆発的に売れたことで「フォークの貴公子」として崇められ、アメリカの若者から絶大な支持を受けていたディラン。しかし実際のところは、自らの歌を自分勝手に解釈され、時代の代弁者として祭り上げられることに憤慨していた。そんな彼が自らを表現する新たなツールとして選んだのがロックである。

しかしそのころロックというと、明確な思想もない単なる流行歌、商業主義の塊という評価を受けていた。

事実、ディランが初めて公の場でバック・バンドを従え行ったライブでは、賞賛と怒号が入り乱れ、ディランは泣きながらギターをかき鳴らしたという。

だがそれでも、彼の魂の叫びは多くの若者の魂を揺さぶった。それはその後、デビッド・ボウイロン・ウッドのように「ディランズ・チルドレン」と呼ばれるアーティストが世界中に誕生したことに眼を向けてみれば明らかだ。

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彼の歌は未来の限りない可能性を歌う。音楽評論家・小野島大は、ディランについて以下のように評価する。「彼の歌は、聴き手の能動性を刺激する。それは、『俺にも出来そう』ではなく『俺もやらなきゃ』という強い思いだ」と。

というわけであたしもベースに打ち込むわけである。しかも初心者のくせに亀田誠二よろしくの指弾き。さっそく人差し指と中指に不格好な血豆をこさえたわけだけれども、それがまた愛しくて。なんでもないような小さなことにだって人間は希望を託せるんだ。ねえミスター・タンブリン・マン。

プロフィール
ぼじぃ
山形の山奥で18年。海の近くで4年。今は大都会山形市の1年目。中国の桃娘のように一生の栄養源をチュッパチャップスと苺のみに生きたい願望とは裏腹に、好物は刺身とモヤシ。夜の公園で遊ぶのが好き。でも体育座りしながら読書で日がな1日過ごすのも好き。「ひとり」を楽しめるということは素敵なことです。